村田亙 オフィシャル ウェブサイト

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村田亙
Name: 村田 亙 Wataru Murata
Birthdate: 1968年1月25日 Jan, 25, 1968
Birthplace: 福岡県 FUKUOKA, JAPAN
Bloodtype: O型 O
Family: 妻と四女 Rina,
Yumeka & Airie & Yuuna & Miku

元 専修大学体育会ラグビー部監督

筑波大学大学院 人間総合科学研究科 修士課程 修了 スポーツ健康システムマネジメント専攻

体育学修士取得(2011,Mar)

ヤマハ発動機スポーツ振興財団審査員

元 7人制ラグビー日本代表監督

【現役時代】
Height: 172cm 172cm
Weight: 75kg 75kg
Position: スクラムハーフ Scrum Half
1986~1989 専修大学 Cap 18(リーグ戦2シーズン全16試合+交流戦2試合出場)
1991~2005 日本代表 Cap 41
1990~1999 東芝府中 Cap 75
1999~2001 アビロン・バイヨンヌ(仏) Cap 40
2001~2008 ヤマハ発動機ジュビロ Cap 68(先発52試合出場)
  Top team: Cap 183
1986~1989 専修大学 Cap 18
(リーグ戦2シーズン全16試合+交流戦2試合出場)
1991~2005 日本代表 Cap 41
1990~1999 東芝府中 Cap 75
1999~2001 アビロン・バイヨンヌ(仏) Cap 40
2001~2008 ヤマハ発動機ジュビロ Cap 68
(先発52試合出場)
Top team:Cap 183
福岡県にて誕生
草ヶ江ヤングラガーズでラグビーを始める
城南中学校入学(ラグビー部所属)
東福岡高校入学(ラグビー部所属)
 
花園(全国高校ラグビー選手権)初出場
専修大学入学(ラグビー部所属)
 
主将として関東大学リ-グ戦優勝
東芝入社
日本代表入り(アジア大会 inスリランカ)
日本代表初キャップ(アメリカ代表戦)
社会人大会2連覇('97~'98)
日本選手権3連覇達成('97~'99)
アビロン・バイヨンヌ(仏)と
日本人初のプロ契約
ヤマハ発動機に移籍
 
 
NZRFU Principles of Rugby
Coaching StageⅠ 取得
NZRFU Principles of Rugby
Coaching StageⅡ 取得
 
 
JRFU公認トップチームコーチ認定証取得
日本代表復帰
ワールドカップアジア予選 日本代表スコッド
関西社会人リーグ初優勝(7戦全勝)
トップリーグ第3位(11戦8勝1敗2分)
日本選手権ベスト4
トップリーグ第2位(11戦9勝2敗)
マイクロソフト杯 準優勝
日本選手権ベスト4
日本代表復帰
(37歳+α 最年長キャップ記録達成)
トップリーグ第7位(11戦5勝6敗)
トップリーグ第3位(13戦10勝1分2敗)
マイクロソフト杯ベスト4
日本選手権ベスト4
トップリーグ第7位(13戦7勝6敗)
現役引退
7人制日本代表監督就任
磐田市スポーツアドバイザー就任
筑波大学大学院入学
 
筑波大学大学院 修了
体育学修士取得
専修大学体育会ラグビー部アドバイザー就任

ワールドカップセブンズ-アジア地区予選 優勝
ワールドカップセブンズ2009出場決定
ボルネオセブンズ カップトーナメント優勝
スリランカセブンズ カップトーナメント優勝
アジア競技大会 2大会連続 金メダル
ボルネオセブンズ カップトーナメント優勝
専修大学体育会ラグビー部監督就任
 
ジュニアD優勝
入替戦立正大に勝利 カテゴリーC昇格
第14回相模原市長杯セブンズ大会優勝
第55回YC&ACセブンズ大会準優勝
第15回リーグ戦セブンズ大会コンソレーション優勝
ジャパンセブンズ大会出場決定
第3回北海道ピリカモシリセブンズ大会準優勝

6年ぶりの関東大学リーグ戦1・2部入替戦で
日本大(1部7位)に30-24で競り勝ち
13年ぶりの1部リーグ復帰決定
関東大学ラグビー春季大会Cリーグ 全勝優勝
ベストマナー賞受賞(専修大のみ/18チーム中)

1部7位(1勝6敗)、2部2位との入替戦
敗退(専修大vs関東学院大)
第30回 SEVEN A SIDE
(関東大学リーグ戦セブンズ大会)準優勝
第5回北海道バーバリアンズセブンズ大会
ボウル戦優勝
第2回CHUDAI SEVENS 準優勝

関東大学ジュニア選手権・C4優勝
入替戦拓殖大に勝利 C3昇格

2部3位(5勝2敗)
第31回 SEVEN A SIDE
(関東大学リーグ戦セブンズ大会)
コンソレーション優勝

関東大学ジュニア選手権・C3優勝
入替戦中央大に勝利 C2昇格

2部全勝優勝
入替戦関東学院大に勝利 1部再昇格
第32回 SEVEN A SIDE
(関東大学リーグ戦セブンズ大会) 準優勝

関東大学ジュニア選手権・C2 5位
入替戦関東学院大に勝利 C2残留

1部7位(2勝5敗)
2部2位東洋大との入替戦に勝利 1部残留
関東大学ラグビー春季大会Cリーグ優勝
関東大学ジュニア選手権・C2 4位
1部5位(3勝4敗)
関東大学ラグビー春季大会Bリーグ中止
関東大学ジュニア選手権・C2中止
1部8位(1勝6敗)
関東大学ラグビー春季大会Cリーグ
(2勝・順位決定なし)
関東大学ジュニア選手権・C2
(3敗1分・順位決定なし)
1部8位(0勝7敗)、2部1位との入替戦
敗退(専修大vs立正大)
関東大学ジュニア選手権・C2
(2勝2敗3位)
2部2位(6勝1敗)、1部7位との入替戦
敗退(専修大vs大東大)
3月1日 監督辞任
福岡県にて誕生
草ヶ江ヤングラガーズでラグビーを始める
城南中学校入学(ラグビー部所属)
東福岡高校入学(ラグビー部所属)
花園(全国高校ラグビー選手権)初出場
専修大学入学(ラグビー部所属)
主将として関東大学リ-グ戦優勝
東芝入社
日本代表入り(アジア大会 inスリランカ)
日本代表初キャップ(アメリカ代表戦)
社会人大会2連覇('97~'98)
日本選手権3連覇達成('97~'99)
アビロン・バイヨンヌ(仏)と
日本人初のプロ契約
ヤマハ発動機に移籍
日本代表復帰
ワールドカップアジア予選
日本代表スコッド
関西社会人リーグ初優勝(7戦全勝)
トップリーグ第3位(11戦8勝1敗2分)
日本選手権ベスト4
トップリーグ第2位(11戦9勝2敗)
マイクロソフト杯 準優勝
日本選手権ベスト4

NZRFU Principles of Rugby
Coaching StageⅠ 取得
NZRFU Principles of Rugby
Coaching StageⅡ 取得
日本代表復帰
(37歳+α 最年長キャップ記録達成)
トップリーグ第7位(11戦5勝6敗)
トップリーグ第3位(13戦10勝1分2敗)
マイクロソフト杯ベスト4
日本選手権ベスト4
JRFU公認トップチームコーチ認定証取得
トップリーグ第7位(13戦7勝6敗)
現役引退
7人制日本代表監督就任
磐田市スポーツアドバイザー就任
ワールドカップセブンズ
-アジア地区予選 優勝
ワールドカップセブンズ2009出場決定
筑波大学大学院入学
ボルネオセブンズ カップトーナメント優勝
スリランカセブンズ カップトーナメント優勝
アジア競技大会 2大会連続 金メダル
筑波大学大学院 修了
体育学修士取得
専修大学体育会ラグビー部アドバイザー就任
ボルネオセブンズ カップトーナメント優勝
専修大学体育会ラグビー部監督就任
ジュニアD優勝
入替戦立正大に勝利 カテゴリーC昇格
第14回相模原市長杯セブンズ大会優勝
第55回YC&ACセブンズ大会準優勝
第15回リーグ戦セブンズ大会
コンソレーション優勝
ジャパンセブンズ大会出場決定
第3回北海道ピリカモシリセブンズ大会
準優勝

6年ぶりの関東大学リーグ戦1・2部入替戦で
日本大(1部7位)に30-24で競り勝ち
13年ぶりの1部リーグ復帰決定
関東大学ラグビー春季大会Cリーグ 全勝優勝
ベストマナー賞受賞
(専修大のみ/18チーム中)

1部7位(1勝6敗)、2部2位との入替戦
敗退(専修大vs関東学院大)
第30回 SEVEN A SIDE
(関東大学リーグ戦セブンズ大会)準優勝
第5回北海道バーバリアンズセブンズ大会
ボウル戦優勝
第2回CHUDAI SEVENS 準優勝

関東大学ジュニア選手権・C4優勝
入替戦拓殖大に勝利 C3昇格

2部3位(5勝2敗)
第31回 SEVEN A SIDE
(関東大学リーグ戦セブンズ大会)
コンソレーション優勝

関東大学ジュニア選手権・C3優勝
入替戦中央大に勝利 C2昇格

2部全勝優勝
入替戦関東学院大に勝利 1部再昇格
第32回 SEVEN A SIDE
(関東大学リーグ戦セブンズ大会) 準優勝

関東大学ジュニア選手権・C2 5位
入替戦関東学院大に勝利 C2残留

1部7位(2勝5敗)
2部2位東洋大との入替戦に勝利 1部残留
関東大学ラグビー春季大会Cリーグ優勝
関東大学ジュニア選手権・C2 4位
1部5位(3勝4敗)
関東大学ラグビー春季大会Bリーグ中止
関東大学ジュニア選手権・C2中止
1部8位(1勝6敗)
関東大学ラグビー春季大会Cリーグ
(2勝・順位決定なし)
関東大学ジュニア選手権・C2
(3敗1分・順位決定なし)
1部8位(0勝7敗)、2部1位との入替戦
敗退(専修大vs立正大)
関東大学ジュニア選手権・C2
(2勝2敗3位)
2部2位(6勝1敗)、1部7位との入替戦
敗退(専修大vs大東大)
3月1日 監督辞任